被災地の光景 vol.06 2011年06月
今回は震災よりちょうど3カ月でした。季節は移り変わりもう夏です。あの被災時の寒かった時を思い出すと随分時が経ったのだと驚くものがあります。私達も最初は必死、そして毎回夢中でやって来た気がします。
この3カ月で石巻市内の瓦礫はかなり無くなり、最初に訪れた景色とは随分見違えました。しかし、その瓦礫はどこへ行ったかというと、渡波地区では、高校のグラウンドにありました。その瓦礫の山の巨大さには圧倒されるものがあります。周囲はとても埃っぽく、近くで生活されている方々は大変な思いをされていると、心中察するに余りあるものがありました。その傍らで地道に撤去作業を進めている地元の方々、または自衛隊員の姿を見ると「頼む!!」と思わず心の中で叫んでしまいます。
女川は瓦礫が減ったものの大きなコンクリートの建物がひっくり返っている光景は未だそのままで、今でも言葉を失ってしまうものがあります。しかし、その荒れた地を行きかう多くの車を見た時、必ずこの街が復活する日が来る、と思わずにはいられませんでした。
牡鹿半島でも少しずつ少しずつ景色が変わっています。初めて訪れた人はショックを受けますが、それでも3カ月前とは全然違います。6カ月後、1年後、3年後はどうなっているのでしょう。その未来は「今」の積み重ねによって築かれます。現地の皆さんが築き上げたこの3カ月の変化のように。
女川の様子。高台にある病院から見下ろすと殆ど無くなってしまった町の姿に言葉を失いました。津波は写真撮影場所の病院1階まで来たとのこと。
大きなコンクリート製の建物が横たわっている。コンクリート製以外の建物は見当たらず当時の津波の威力が凄さが伝わってきました。(女川地区)
道路は車も十分に通れるほどの幅がありましたが脇には生活感のある物が折り重なる。住民の方々の残る場所から先に撤去作業が進められているようでした。
この辺りは建物が密集して建っていたいた場所だったとのこと。その数は50件ほど。残っているのは鉄筋コンクリートの家の骨組みのみでした。(給分地区)
家の近くに打ち上げられた船。帰り際にはこの船の解体作業が進められていました。それを立ち止まり、ジッとと見ている漁師の方の姿が悲しげで印象的でした。
瓦礫の中に佇むカラスの姿が何とも荒涼とした雰囲気を醸し出していた。しかしその近くで熱い陽に照らされながら溝さらいを行なうボランティアの姿がありました。(鮎川地区)
海の底に沈んだ大きな船を引き揚げるために運ばれてきた大型重機。その大きさは家を越すほどで圧巻。大活躍してくれたであろうことが目に浮かびました。(給分)
海に幾つか浮きが見られました。浮きの下には牡蠣の仕掛けが。少しずつ少しずつ浜は復興に向かっている。大量の浮きの姿が見られるその日まで今はできることをやるのみ。(給分)
左奥は破壊された牡蠣の養殖場。沢山の区切りにはそれぞれ個別の作業場で各人のフォークリフトが1台ずつとまっていたとのこと。右奥には津波に負けなかった船。手前は牡蠣の種付けが終わり、これから紐に挟んで投入するホタテ貝殻の仕掛け。多くの難題を抱えながらも前に進もうとしている浜の方々の心が伝わってくるようだ。(給分地区)