被災地の光景 vol.05 2011年06月
震災から2カ月半以上が過ぎ、間もなく「あの日」から3ヶ月が経とうとしています。その中にあって現地の皆さんは様々な想いを抱えながらも前へ前へと進んでいらっしゃいます。それを物語っているかのように訪れる度に着々と変化する景色。
今回訪れた現地は、全く瓦礫がなくなっている場所がぽつりぽつりとあったことが印象的でした。前回まで全く手をつけられておらず津波によって運ばれてきた瓦礫だらけのショッピングセンターの一角が嘘のように何も無くなっていたり、あちこちにひっくり返っている車が一箇所に集められていたり・・・。
現地の皆さんは怒涛のような現実の正に真っ只中にあって、着々と変化する周囲の様子を如実に感じられていらっしゃると思われますが、時を空けて足を運ぶ私たちにとっては、別の場所ではなかろうかと錯覚することもあるほどでした。
確実に復興への兆しが見られる中で、今回特に印象に残ったのは、制服に身を包んだ学生たちの姿でした。
「そうか、学校が始まったのだなー・・・」思い出したようにそう思いました。瓦礫の中を行く子どもたち。この子達がこの地を将来背負う日が来る。その日にバトンを繋げるためにも今、負けてはいけない。その思いが援助への足を更に早めました。
牡鹿半島へ向かう道。前回よりも瓦礫が減り、だいぶ景色がすっきりしていました。
港もまだまだ完全に片付いていませんでしたが網などそれぞれの道具が一つのところに寄せられていました。
瓦礫が少しずつ撤去されすっきりとした道路にバスも運行し、復興に向かう様子が分かります(牡鹿地区)
地区の皆さんと自衛隊が撤去作業を行なったことにより、まだ瓦礫が残っているものの以前とは比べ物にならないほど片付いた給分地区前の道路。
地区の皆さんと自衛隊が撤去作業を行なったことにより、まだ瓦礫が残っているものの以前とは比べ物にならないほど片付いた給分地区前の道路。
全く手を付けられていない場所。災害の壮絶さが垣間見られますが必ずやいつの日か美しい町並みに変わる「復興の日」が訪れるはずです。
傾いている家、倉庫、転がっている浮き。どこから手を突けたら良いのか分からないような光景(万石橋傍の船倉庫)。
津波で傾いた漁港すぐ近くの家。人も疎らで、いるのは捜索の自衛隊のみでした。何とか復興してもらいたいものです。
壁が所々剥がれてしまった船倉庫。この場所を漁に出る日に向け少しずつでも片付けなければなりません。
その倉庫(左写真)の内側。様々な物だけでなく泥も流れ込んでいる。今回の支援でこの倉庫の掃除を行ないました。
ひっくり返ったままの船。手前には倉庫が海に浸かっている。しかし奥の道路には新しい電柱が建ち電線がしっかりと張られ、すっきりとした道路を何台かの車も行き交っていました。復興の兆しと震災の爪痕が混在している光景。
牡鹿半島に持っていく野菜を仙台市内の八百屋さんで購入。大震災の日は店の前を船が通っていたとのことでした。
牡鹿半島に持っていく野菜を仙台市内の八百屋さんで購入。大震災の日は店の前を船が通っていたとのことでした。