物資援助

「津波の後、流れてきた泥だらけのお米を川の水で洗って食べました。流れて来たジュースを皆で分けて飲んだんですよ」「怖かった」「本当に恐ろしかった」と。

この度第1回の支援では、避難所6箇所(内4箇所を追加訪問)を回り、御協力下さいました皆様よりの物資を直接被災者の方々にお渡し、また炊出し支援を実施致しました。私達が現地入りするちょうど前日に開通したという道路を通り、ほぼ自衛隊のみが稼働するという過酷な状況であった宮城県牡鹿半島地域での援助を、お蔭様をもちまして無事遂行することが出来ました。

現地は、テレビや新聞のマスコミでの報道以上の想像を超えた惨状でした。全てを失って避難所に身を寄せている方々の受けられた苦難は察するに余りあるものでしたが、皆様からの支援物資を受け取られ、安堵の表情を浮かべていらっしゃる方が沢山おられました。全く何も持たずに避難されている方々にとって、下着や靴下をはじめ日用品は必須です。

今後も少しでも早く、必要とされるものが届けられるようにと改めて思いを新たに致しました。決して自分から要求を言わない日本人らしい奥ゆかしさの方達が多かったのですが、聞き取りによると、荒涼と広がる瓦礫の中で「今最も不足しているものは靴」「ズボンなど下にはくもの」「肌につける化粧水やクリームなど」ということでした。

また今後、暖かくなるにつれ衛生用品がより必要になって来ることと思います。

東日本大震災支援活動 物資援助

東京からほぼ12時間かかってようやく牡鹿総合支所に到着しました。高台の建物の2階から避難されている皆さんが見下ろしていました。

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もう夕方になっており電気も無い為、陽の落ちる前までに荷物を降ろす。石巻市牡鹿総合支所にて。皆さんが次々と手伝って下さいました。

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「津波の後、流れてきた泥だらけのお米を川の水で洗って食べました。流れて来たジュースを皆で分けて飲んだんですよ」「怖かった」「本当に恐ろしかった」と。

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物資を配り終え、別れ際に抱き合いました。「災害にあってから1度も涙を流していなかったのに」と涙を流す皆さんに、こちらも思わず涙に。

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石巻市立大原小学校(避難所)にて。子供達には、色鉛筆、絵描き帳、おもちゃなどを渡しました。食い入るように自分の分を選び「これ夢で見た」という女の子も。

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石巻市立大原小学校。在校生20名、体育館には70名の避難者がいらっしゃるとのこと。小さな子供を持つお母さん子供の衣類がなく本当に困っていました。

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石巻市立大原小学校(避難所)にて。先生方と一緒に物資を運び入れました。

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斎場に避難されている皆様は高齢の方も多く、本当にご苦労されているご様子でした。87歳の方が堅いコンクリートの上に寝られているのには胸が痛みました。

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各避難所に、必要なものを人数に合わせて配って行きましたが、下着類は共通に不足しており、年齢層によって必要なものも変わってきました。

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「充分あります」と、遠慮して最初は言われませんでしたが、下着類も全く不足しており、中には「三週間着たきり」という方もいらっしゃいました。

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斎場からすぐ下の鮎川集会場(避難所)にて物資をお渡しする為にトラックから降ろす。約60 名の方がおられ、この日は自衛隊の風呂に皆が行っていました。

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自衛隊の方達も物資や水の援助に来ていた大原小学校で荷物を降ろしました。翌日の炊出しをこちらで行う約束をしました。

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トラックから荷物を降ろすのを男性陣が手伝ってくれました。これから高校入学で、入学式が延期となっているという彼も一生懸命やってくれました。